横須賀市横須賀しょうぶ園
スズメバチの巣と水車小屋
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
あらゆる生物は産み落とされた環境で生き延びるために、試行錯誤を繰り返し経験を重ねながら成長していく。人もまた同じで、経験がないことは試行錯誤せざるを得ず、理解すらできない。したがって、経験知がないことを形式知として与えられても、その意味は分かりようもない。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
形式知の伝達は、試行錯誤の出発点を引き上げることにはなる。しかし、現代ではその出発点に立つことすら困難なほど専門化が進んでいる。知識、常識、規則、倫理…。いかなることにも既存の体系がある。自分には何ができるか。大半を専門家に委ねるか、理解を欠いたまま表面的に模倣するしかないように思われる。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
例えば、リスの貯食行動と人間の資産運用は、表面的にはどちらも「計画」に見える。しかし、その内実は異なる。リスの行動は、安全なら食べ、危険なら逃げ、満腹なら貯めるといった臨機応変な即応である。そこには、人間の計画のような未来を見越した意図はない。つまり、「計画」に見えても、それは擬人化にすぎない。
クリスマスローズ
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
設計や計画をいくら綿密に立てても、そもそも現実とは別次元である。例えば建築現場では、資材の寸法誤差、天候の変化、地盤の想定外の固さなど、無数の条件が重なり、絶えず状況は変化していく。修正の必要を察知し、調整できる経験者がいなければ実現は不可能である。
クリスマスローズ
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
計画の設計図は、熟練職人の即応的な技術によって現実の建築物へと変換される。使える道具や現場を見ただけで、計画や目的を見抜くほど熟達した職人が参加すれば、計画全体が見直されることもある。つまり、計画という「理想」は、現場という「現実」の中で即応力で絶えず擦り合わせていくプロセスが必要となる。
クリスマスローズ
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
計画通りにしか動けない素人であり続ければ、やがては障害や危険因子とみなされ、必要とされなくなる。人間の「計画」は未来のモデルとして設計され、複数の集団が様々な立場で同じ計画に携わる壮大な計画もある。しかし、具現化するためには、実践的な行動の積み重ねと様々な具体的調整が伴う。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
計画と現実の齟齬に直面すると、人は往々にして自分自身を責めて、「計画が悪い」のではなく「自分が足りない」と考える。こうした自己不信とは逆に、成功が続けば自信となる。どちらも計画を立てないと行動できないと思い込むためだが、そもそも行動と計画はまったく別次元である。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
例えば、マナーとして推奨されることは、共同体を維持するために従うことが社会人としての良識とされる。現在ではアナウンスも掲示もないが、混雑時の車内で、リュックを前に抱えるのがマナーとされたことがある。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
当たり前のことだが、そもそも荷物を前に抱えたところで、容積が減るわけではない。単に他人に当たることが可視化するだけである。逆に、足元が確認できなくなり、両手が不自由になり、バランスも悪くなる。そのまま移動すれば、階段やホームで死角が生じ、転倒や転落の危険が生じることにもなる。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
海外で荷物を前に抱える行動が見られるのは、窃盗防止目的であってマナーではない。日本では盗難やひったくりが比較的少なく、荷を網棚に置いたり、床に置いたり、周囲に配慮し、他人を迷惑を掛けないといった心掛けが元々浸透していた。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
リュックの前抱えがマナーとして推奨せざるをえなかったのは、通勤通学用にリュックが流行りだしたという事実もあるが、根本的には、スマホや携帯ゲーム機、イヤホンに集中して周囲の状況に気づかない人が急増したことが原因だろう。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
赤ん坊の前抱っこは、授乳したり表情を見る時には必要なことではある。しかし、前で抱えるためのホルダーは必要でもなく、筋骨の発達していない時期には使用不可である。日本に古来からある背負子は、子供を保護しながら家事を遂行したり、危機の回避や防御も可能といった合理性から発達してきたものである。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
海外の習慣やルールを古くからのものと差し替えても、機能しないことは多々ある。見直してみれば、しばしば古くからの習慣のほうが合理的な場合がある。つまり、試行錯誤の積み重ねで到達したことだったり、論理的に整合性があり、十分な有効性があって受け継がれてきたこともある。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
いくら緻密な予測を立てても、それは予知ではなく想像でしかない。現実は想像とは無関係に変化する。世界を静止した模型のように扱う計画には、いずれは摩擦が生じる。その摩擦は、劣化や損耗、亀裂や崩壊といった物質的変化を引き起こすばかりではなく、事故や病害のような人災となって現れることもある。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
流れる現実に即応する代わりに、固まった計画に現実を無理に合わせようとすれば、必然的に摩擦と抵抗を生むことになる。川の流れに逆らって立ち続けるように、計画という幻想にすがって変化を無視し続ければ、崩壊の兆候を掴むこともできず、気づいた時には全てが手遅れになる。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
計画型の行動様式は、遅延や障害の根源である。計画通りにいかない現実を「例外」や「障害」と見なせば、人は常に苛立ち、挫折感を味わうことにもなる。しかし、問題の核心は、計画の硬直性を正しさと取り違えて維持しようとすることにある。つまり、計画という名の宗教を信じているようなものである。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
「計画型」の行動は、生物として自然な行動ではない。現実ではなく予定に振り回されると、肉体的にも精神的にも息苦しさや疲労が蓄積されていくことになる。一方、現実に即応しながらの行動には、自ら情報を得たり、挑戦したり、工夫して切り抜けたりといった生物基盤の成長に伴う心地よさが生じる。
フジの花
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
仕事を終えた後の開放感は、それだけ自由に身動きできなかった証拠である。仕事中の不安や混乱、締め付けが大きいほどストレスも大きい。仕事に何の摩擦もなければ開放感もないが、その代わり、ストレスもない。それは、自分で決めて自分で着ている「計画」という名の上着である。時には、見直しも必要だろう。
フジの花(本紅藤)
(横須賀市横須賀しょうぶ園)
2016/04/29
試行錯誤は、基本的には現実の変化に対して即応して行動するための調整のことであり、誰でも無意識的に実行している。そうでないと、まともに道を歩けない。計画の方になら成功や失敗があるが、試行錯誤には成功も失敗もない。
Yellow Roof 's Museum