2015/11/21(土曜日)
日向渓谷
(伊勢原市大山)
2015/11/21
このサイトは、撮った写真を一覧にして、いつどこからでも参照できるようにアップロードしたものである。知っているものを撮っているのではなく、知らないからこそ撮ったもので、日付や場所、写真に正誤はないが、それ以外の生物の名や付したメモは私見に過ぎない。言わば、現実を見直す試行錯誤の軌跡のようなものである。
ススキと眺望
(伊勢原市大山)
2015/11/21
仕事の行き帰りに目にしたものを撮るようになったのは、2022年の5月末頃からである。それ以前、2020年頃にはスマホの画質はデジカメを凌駕してきていた。電車内では書物よりスマホを見る人が増え、スマホを持ち歩く姿もありふれてきていた。それを確かめてから、自分はようやく日常の中でシャッターを押した。
大山から相模原を見る
(伊勢原市大山)
2015/11/21
2011年にGoogle検索に画像検索機能が追加されたことは、革命だった。それまでは名前を知らなければ、何度も語句を変えて組み合わせながら探すしかなかった。2018年末には、Androidスマホでも間接的には使えるようになり、2020年以後はGoogleレンズとしてカメラと直接連携して普段遣いできるようになった。
大山から見る相模原
(伊勢原市大山)
2015/11/21
Googleレンズでの抽出結果は便利な図鑑のようなものだが、そこから選択するのは自分である。つまり、識別や言葉選びの段階で間違いが起きてしまう。ただ、言葉なら後でも修正できるが、現実はそうはいかない。二度と遭遇できないこともある。だとすれば、自分が培うべきは言葉ではなく識別力の方である。
大山から見える富士山
(伊勢原市大山)
2015/11/21
経験を重ねていけば判ることも増えるが、判らないことはそれ以上に増えていく。知っているつもりのほとんどが思い込みか、他人の言葉を借りただけにすぎないことも明らかになっていく。現実より言葉を優先するようになったのは、いつ頃からだったろうか。自分は子供に還って写真を撮り直しているようなものである。
大山から見える富士山
(伊勢原市大山)
2015/11/21
衆目の中でカメラを使うことには抵抗があり、見知らぬ人に話しかけるほどの思い切りが要る。もっとも、撮っている時に話し掛けられたことはない。むしろ、撮っていると気遣われてしまうことがあり、極力周囲に人がいない時に撮る。許可が要りそうなものも初めから避ける。すると、対象はもっぱら自然物か公共物になる。
大山阿夫利神社
(伊勢原市大山)
2015/11/21
昆虫や動物、植物の名を生まれた時から知っている人はいない。生物も名札を付けて生まれてくるわけではない。人も生物も言葉ではなく、感覚器で物事を識別している。言葉ではこの原則が変わるはずはなく、現実とは無関係である。言葉自体に意味がないからこそ、世界に何百もの異なる言語が生じたのだろう。
阿夫利神社駅
(伊勢原市大山)
2015/11/21
雑草や木、鳥や虫といった言葉で片付ければ、三次元の世界は二次元の言葉で塗り潰されて簡単になる。その代わり、自分が本来持っている基本的な能力はろくに使わなくなり、錆びれていく一方になる。現実や事実から離れた言葉には実体がなく、言葉から現実を探すより、現実に言葉を当てる方が遥かに速い。
トウカエデの紅葉
(伊勢原市大山)
2015/11/21
自分の識別力はごく未熟で、ようやく小さな蟻と大きな蟻にそれらしい名前を見つけていく程度のものである。専門的に同定したわけでもなく、少々区別できるようになって、写真の仕分けに言葉を拝借してラベリングしていく。これを延々と繰り返していけば、そのうち少なくとも実物の見分け方は様になっていくかもしれない。
モミジ、オニドコロ、ノブドウ
(伊勢原市大山)
2015/11/21
今や自動的に類似写真を並べたり、写真の説明を加えることもできるかもしれない。ただ、そうしてしまうと自らの識別力は確実に落ちていくことになる。AIやアプリに頼れば楽にはなる。その代わり、失われていくものも必ず生じる。自分なら写真を撮る以前に、見る意味すら失くしてしまうかもしれない。
大山寺参道の紅葉
(伊勢原市大山)
2015/11/21
紅葉見物に行くこともあるが、身の回りにも圧倒的な量の生物や事物があり、様々な現象にも遭遇する。毎日撮っても拾い切れず、知らないことは増えていく。目の前にあるものを知らないと言うのは、言葉を知らないだけのことである。生物は名乗らないし、事実や現実に正誤も真偽もない。まったく別次元のことである。
Yellow Roof 's Museum